モールトン博士を偲ぶ会

 昨年12月9日にアレックス・モールトン博士が永眠。 享年92歳。
1月27日(日)に東京代官山ヒルサイドテラス内ヒルサイドプラザで「博士を偲ぶ会」が開催された。
輸入元のダイナベクター社、富成次郎さんが司会進行役で、モータージャーナリストの山口京一さん、田辺憲一さんがスピーカーとなり、100名を越える参列者と、博士の業績を再評価し、人となりを偲んだ。
富成次郎さんは、「最初はイタリア製ロードレーサーが最高の自転車という時代に、モールトンは月に1台から3台しか販売できない高額自転車だった。だが80年代にMTBの台頭で高級自転車の価値観変化し、モールトンの風変わりさが薄められて、高級車として認知された。イギリスのモノ作りに誇りを持ち続けた博士は、日本のファンに支えられ、幸せだった」と語った。
「軽量で細い鋼管トラスフレームの剛性と、ゴムを使ったサスペンションの絶妙な兼ね合いに舌を巻いた」と、田辺憲一さん。人間エンジンに合わせたサス付き自転車の絶妙な設計感覚、この意見には僕も同感!
70年代のカースタイリング誌に、<ミニの開発者が作った自転車アレックス・モールトン>を紹介したジャーナリストであり、熱烈な愛好者である山口京一さんは、博士の自宅で見聞した数々の裏話を披露。大排気量のパワフルさを好み、乗り心地の良さにこだわった博士だが、晩年はプリウスもお気に入りだったとか。ご冥福を祈る。

ドーピングのゆくえは…

突然ですが、ドーピングのことを最近考えてました。
フェアプレイの欠落が、ドーピングの始まりです。
僕の敬愛するコッピも、ボトルの水に一枚のハッカの葉を入れて気分をフレッシュにし、ここいっぱつのアタック前は小さなフラスコに用意した濃いコーヒーをあおっていたそうです。

歴史的な事件を、かいつまんで記してみました。みなさん、もう一度、考えてみませんか?

1860年代 最初のDOOP記録
6日間レースが台頭し、疲労回復・興奮剤のドーピングがまん延。

1924年 ペリシエ兄弟(初期ツールで活躍選手)がメディアに興奮剤などの使用を告白。=ストリキ二ーネ、コカイン、クロロフォルム、アスピリン。

1966年 ツール・ド・フランスで薬物検査導入。
1967年 ツール・ド・フランスで、シンプソンがアンフェタミン服用で死亡。
1968年 メキシコ五輪、薬物検査を本格導入。

1980年代 ソ連や東ドイツでは国家レベルの血液ドーピング。
EPOが普及。

1998年 「フェスティナ事件」
禁止薬物(EPO、アンフェタミンなど)大量所持のマッサージャーが逮捕され、チームがツールから撤退。所属選手(ヴィランク、エルベ)らが最初は否定していたが後に陽性反応。他チームにも波及。

2000年 シドニー五輪、EPO検査導入

2006年 「オペラシオン・プエルト」(スペイン警察の一斉検挙)
密告によりリバティセグロスチームの監督と医師が逮捕される。チームが他チームの血液ドーピングを請け負っていた。波紋が広がる。
2008年 第3世代EPO CERA検査技術確立
2010年「パドヴァ事件」イタリアのドーピングスキャンダル。

2012年 ランス・アームストロングのドーピング発覚。
ツール7連覇の記録剥奪。波及して2001年当時UCI会長のH.フェリュブルッヘンによる、アームストロングのツール・ド・スイスにおけるEPO陽性をもみ消し疑惑も浮上。UCIの信頼性が揺らぐ。